プロフィール


 昭和30年 2月     佐久市前山で誕生
     前山小学校、野沢中学校、そして、臼田高等学校を卒業
 昭和48年 4月    佐久市役所に就職
 平成24年11月    39年8ヶ月勤務し、早期退職

○ 市役所での仕事
■林務課(林道係)

2度の配属で通算10年。林道大河原線(現在は市道)などの測量や設計を行いました。
■耕地課(耕地係)
当時、佐久市が「家庭雑排水処理施設」で先駆していたので、沖縄を除く46都道府県から連日視察を受けました。
学士会館で行われた全国担当者会議で2時間にわたる事例発表を行ったり、全国・関東農政局レベルでの講師を務めました。また、科学雑誌や専門誌への執筆も行いましたが、大学にも行ってない27歳がよくできたなあ(^^)
■土木課(管理係・維持係)
区長さんから挙げられた要望箇所を100箇所以上周り、優先順位を付け道路・水路改修などを行いました。
役所の仕事でもっとも「ありがとう」という言葉を頂きました(^^)
■同和対策課(同和対策係)
小集落事業という面整備事業を担当しました。この事業に区画整理事業をダブルでかぶせるという画期的な手法を考案。
建設省の担当から全国講演会で「佐久市を参考にして欲しい」とまで言われ、視察が相次ぎました。
■農業委員会(農地係長)
初めての係長職なのに部下も総入れ替え。異動した日から農地転用申請がガンガン。部下と必死に農地法を勉強しました。
■都市計画課(公園係長)
総合運動公園の都市計画決定や、用地交渉など、発足時を担当しました。 
■道路建設課(道路建設係長)
合併時、道路建設係長でしたので新市の道路計画などを他町村の係長達と話し合い決定しました。
ちなみに現在施工中の、琵琶島橋からヤマダ電機に抜ける道は私が提案し、実現した事業です。
■下水道建設課長
初めての課長職でしたが、部長・同僚課長・部下に恵まれ、最も平穏な時代だったかな(^^)
■総合文化会館整備推進室長
総合文化会館建設の是非を問うため、設計から市民説明会まで、先頭に立って行いました。住民投票に向けて、中立の立場を貫きました。
今振り返っても最も過酷な職務であり、この時の経験が、今の決断に繋がったと言えます。
■図書館事務長
3ヶ月だけのピンチヒッターでしたが、その間に館長交代などがありました。
■教育施設課長
泉小学校、臼田中学校を建設中で、異動後、望月中学校の起工、岩村田新小学校の起工に携わりました。
役所で工事のお金を一番使った課でしょうか(^^;


○ そ の 他

■またの名を イイジマン
佐久のコミュニティFM局「fmさくだいら」創設の際、「男性アナをボランティアで」と言われ、’1998年6月〜’2000年9月まで2年4ヶ月間、パーソナリティをしました。
その時のニックネームが【イイジマン】です(^^)

番組名は「サンデー・フリー・ウェイ」 毎月、第1日曜日の11時50分〜1時まで、1時間10分の生放送!!
「佐久平温泉巡り」や「イイジマンのフロム・インターネット」などのコーナーを設け、ゲストを呼んではおしゃべりを楽しんだり、ちょっと懐かしい曲をかけていました。
子どもの頃からアナウンサーになりたかったので、本当に貴重な体験でした。

■またの名を お助けマン
「すみません。パソコンがおかしくなっちゃったけど、助けて下さい。」と、電話やメールが飛び込んできます。
市役所のいたるところで、私が作ったプログラムが使われています。
消耗品要求ソフトなど、ネットワークに組み込まれ、すべての課で使われている物も有りますし、支所からの報告システム、それぞれの課で事務簡略のために使われている物も有ります。
極めつけは「用地管理ソフト」一覧表に入力するだけで用地契約書から登記簿まで、27様式が作成できる物です。
市販では1本約100万円ぐらいしますので、簡単に買えません。
全国289自治体から使用願いが届き、無償配布しました。
<紹介記事>
役所内で、パソコン教室を何回も私的開催しました。
一人の知識を、100人に伝える。そのことにより、5分仕事が早く終わったとします。
一人ならたった5分、でも、100人なら500分。その分だけ、市民の皆さんと直接関われる時間が増えるのです。

プロフィールというより、自画自讃でしょうか^^;^^;^^;

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